法政大学の集会にて

近々、当委員会主催でustream放送を行おうと考えており、試験的運用のために集会に足を運んだ。
せっかくなので現在の文化連盟と中核派を放送してみようとした次第である。


なお、この時、行われた集会は経済学部洞口朋子の処分を弾劾する集会であるという。
洞口朋子が処分された理由については以下に記す。少々煩雑になるが、容赦していただきたい。
314法大弾圧を許さない法大生の会という314事件の直後に結成された団体による①大学が「許可」していない政治的主張の書かれたビラ、いわゆる「アジビラ」を学内でまいたこと、②今年の二月に生じた、受験生にこの間の問題を訴える集会の際に生じた威力業務妨害での逮捕、③洞口朋子は2008年5月15日に逮捕、釈放後、半年間の停学処分があった。停学処分に対して反省が行われているかといった点で教授会に呼び出されている。
その後、当該が教授会に対するロビー活動(?)である教授回りを行っていたところ、ある教授から、処分がくだされた旨が伝えられた、という。
実際のところどういった処分かは明らかではないが、過去の例を参照すると、重い処分が予想される。
本日7月7日はその処分に対する対抗の集会であるようだ。当該が記す通り、多数の公安警察が監視する集会であった。

おそらく以上の説明で全てを理解できる人間はいないだろう。この問題の端緒は2006年3月14日であると言われているが、遡ろうと考えればいくらでも10年でも20年でも遡ることができる。
私の一連のドキュメンタリー映画はせいぜい5年間撮影を続けた中の一つの見方に過ぎない。
しかし、法大問題に対してより深い認識が得られると確信している。

参考までに
法政大学文化連盟
http://08bunren.blog25.fc2.com/

近日!

グアムに行ってきた②

第二回です。
前述の『グアムと日本人』にも記述があった「タモン湾にあるトーチカ(跡)群」です。
もともと戦場となったタモン湾は生生しいから、別の地に観光地を作ろうと考えていたらしいが、紆余曲折あり、結局タモン湾が整備され、ホテル群が建設されたという経緯である。
そのため、タモン湾は現在でも防御陣地であるトーチカが残っている。


ほとんどのトーチカはただの小山となってしまっているが、このトーチカはけっこう形が残っている。中にも入ることができる。


内部の銃眼。旧日本兵もこうして水平線を眺めたのだろうか。


タモン湾に並ぶホテル群。私もこの中の一つに宿泊した。


石の小山レベルではないが、たぶんタモン湾をビーチにする過程で壊されたトーチカ。人工物の跡が見える。

動画でも撮影したのだが、手違いで遠いところにデータが行ってしまったため、動く絵は後ほど。

またれよ!

グアムへ行ってきた①

グアムに結婚式に行ってきました。
グアムと言えば言わずと知れた観光地であり、最近では海外で結婚式を挙げる場所のメッカである。
例に漏れず私も結婚式でグアムを訪れた。
ところで、太平洋の島々は第二次大戦中の戦場としてあり、グアムも現在のイメージとは異なり、戦争遺跡が少なからず残っている場所でもある。

グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園 (岩波新書)

グアムと日本人―戦争を埋立てた楽園 (岩波新書)

上によれば、生々しい戦争の記憶は、戦後のメディアにより、「記憶が埋め立てられている」という。
戦中、グアムは「大宮島」と呼ばれ、日本の統治下にあったとか。その後、アメリカに再占領され、70年代まで太平洋の米軍基地の要衝として存在していた。
しかし、ベトナム戦争のさなか、外貨獲得の必要性が増し、70年代以降は観光地として開放されて今に至る。
日系企業により観光地として開発されたタモン湾は結婚式を挙げるためだけの教会が立ちならんでいる。

カルチュラルスタディーズというと、誰も知らないフロンティアを取り上げて、なんかよくわからない文物から現代人を批判するという論文の大量生産産業だとの批判がある。
だが、グアムというよく知られた場所で、かつ、日本人とも関連が深い場所を題材に選ぶのは好ましい。

実際、私も結婚式に参加するという日帝資本に与しているわけだから。

新左翼史へのいざない3

意外と、この「新左翼史へのいざない」シリーズは好評のようだ。
ある日、部室へ行くと無造作に『ポスト学生運動史』が置いてあって驚いた。
このブログ経由なのかは不明だが、嬉しい。

新左翼とロスジェネ (集英社新書)

新左翼とロスジェネ (集英社新書)

共産党から共産主義者同盟が出てきた部分の歴史を重視しながら、文学や映画等の当時の資料を用い、現在までをまとめている。
雨宮処凛さんや松本哉さんとかのロストジェネレーション世代と呼ばれる20代半ばから30代半ばまでの世代が言われている。
その世代において顕著に現れた「自分探し」というキーワードを用い、その根が新左翼史の中に頻出していることを指摘する。

高円寺のデモ

素人の乱」という高円寺を拠点にしてさまざまな活動を繰り広げている集団の主催によるメーデーデモに参加してきた。

フリーター全般労組と宮下公園の横断幕(?)は見えたが、なんというか、有象無象の集まりである。だいたい50〜60人程度だったか。数を数えるのが苦手なのでだいたいそんな感じ。

法政の友人と参加。

待たれよ!

かつて、我が上映委員会が招聘した平沢剛さん曰く、インターネット時代の表現は「速度と頻度」が重要なのであるが、それよりも、履修登録やらなにやらの方が今の時期、重要なのである。

待たれよ!